聴風館の由来

聴風館

備中竹内流の四代菊池清大夫は祖父も父も豊臣家の家臣だったが父佐兵衛が大阪の陣後牢人し、播州で生まれた。竹内流を学び久吉から印可を受け竹内姓を賜り竹内清太夫正次と名乗り岡山池田藩に寛文元年十一月召し抱えられて、支藩の生坂新田 藩の指南役として備中地域に多くの門弟を育てた。

岡山藩士の十代森源介勝政の後継者の備前 児島の十一代高嶋仁太夫久行の門人で備中連島の渡辺利忠治安信は地域の門人を束ね竹内先生司と呼ばれていた。

安信の子の渡辺利忠治久信は父の師の高嶋久行から免許を得て十二代を継 ぐ。久信は嘉永二年に作州宗家竹内流後見の竹内武極久居が連島に訪問した際に技を習い宗家 の門人に取り立てられた。その後久信は高木姓となる。

十三代の山崎久治信正は生家の豊洲村 早高から連島の久信の道場に通い免許を得て茶屋町に勇武館を開いた。

後を継いだ十四代竹内 綱一正取は当時十三歳の帯高の中山和夫が入門したので帯高に日新館を興した。

十五代中山和夫が岡 山大学に入学し全国唯一の古武道部を岡山大学に創設したので竹内綱一正取は古武道部の師範 となり多くの大学生の門人を育てた。

日新館を継ぎ岡大古武道部の二代師範となった十五代中 山取真は古武道部の九代主将の小野陽太郎が岡大を卒業後昭和四五年京都に開いた道場を聴風館と名付けて、昭和五十三年に皆伝を印可し平成二年に分家させて竹内流備中伝十六代小野陽 太郎源真人と称す事を許した。

聴風館の支部道場には東京新風館、東京玄風館、兵庫仁風館、ハワイ正風館、 、イギリス松風館、カナダ翔風館、兵庫仁風館、メキシコ暁風館、稽古会:アメリカ龍風会、オーストラリア瑞風会、カナダ順風会、チェコ無心会、鎌倉明風会などが出来て活動している。

毎年八月には聴風館の山の道場(元愛宕山)に支部道場が集まり流祖祭を行う。岡山県倉敷市の日新館 を継いだ中山拓也真承師範と共に備中伝の流儀を伝え門人を育成している。